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3月13日(日)にイベントを企画しています。
題して「チョコっとスキル♪select 10」。
意外と知らないちょこっとしたスキル( Google Workspace )が10個も知れる人気企画です。前回は12月26日に行ったのですが,定員100人が開催1週間前には満席になった企画です。
今回はその続編ということで,実はサブテーマがあります。
それは「授業活用につながるもの」です。
直接的につながるものもあれば,間接的につながるものもあると思います。
さて,今回はその内容ではなく,こういったイベントを企画する際に考えている視点について書いてみます。
この図はそれをあらわしたもので,柳田國男氏の提唱した「ハレとケ」という概念を取り入れたものです。この「ハレとケ」という概念が,イベント作りの際のヒントになるのではないかと考えています。柳田氏は,生活にはリズムがあり,仕事を休んで特別なものを着て特別なものを食べる日と,生活労働に従事する日を,「ハレ(晴)とケ(褻)」という概念を設定し区分しています。「ハレとケ」は対照的な存在であり,このことは食物にも服装にも,その他の面にも示されています。これらについての詳述は,『柳田國男の民俗学』や『私説柳田國男』に詳しいので,そちらを参考にしてください。柳田氏の論で言えば,「単調で刺激のないケの生活を毎日送るのは,次に来るハレの興奮を大きくするためであり,そのハレの日を楽しみにして日々のケの生活を送っていた」というものです,しかし,私たちの生活の時間も空間も大部分はケであり,そのケの意味をただ単にハレを待つ時間とか空間というのではあまるにケは情けない存在になるとして出てきたのが「ハレ・ケ・ケガレ」論です。
日常生活を送っていくときのエネルギーがケであるが,生活は次第にケを消失していく。それがケガレであるという。そこでケを回復するための装置がハレとして設定されるという理解である。(『柳田國男の民俗学』,p.223)
もちろん,このケとケガレのケは本来的に語源が異なるなどの問題点が多いことも指摘されているようですが,個人的には,実感的に理解できる考え方だなと思っています。
また,『私説柳田國男』によると,このケガレから脱出するために,ケのエネルギーを身につけてくれる神事,つまりマツリや祭事儀礼を催すということです。
日本人の生活の中で特に大切なイベントにお祭りがあります。祭りが来ますと日常生活をそこで断ち切って神まつりの聖なる世界に入ります。特に共同体の場合は真剣で,禊をしたり,精進に服し,氏神の境内をはじめとして氏子区域をきれいにします。そして晴れ着を着て祈願,厳かなシンジを人前でおこないます。そういう非日常的な場をハレ(晴れ)とかハレの日と読んで重視しています。人々はこのハレの祭りをつとめることによって,初めて新しい気持ちで再び日常の仕事や普段の生活に戻ることができると考えたのです。その日常の暮らしをケと称していたわけです。このハレとケは交互に訪れてきて人々の暮らしにリズムをもたらしました。(『私説柳田國男』,p.221.)
ということで,何が言いたいかというと,少なからずイベントには「ハレ」の要素があると思うのですが,それだけではダメだということです。もっと,地味な日常的なことも必要だということです。特にICT関係は,お祭りだけだと「あの人だからできることだよね」といった,どこか自慢大会のようなものになっていきます。もっと地味な,ケの要素を持ったイベントが必要です。しかし,もちろんそれだけでもダメです。ハレとケの概念から考えると,ハレの要素が日常を明るくするものだからです。要はバランスですね。この辺りのことを意識してイベントを企画することが必要だと考えています。
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