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落合陽一氏の『忘れる読書』(2022) を読みました。
実に軽快な内容で楽しく読みました。そして・・・内容はもう忘れちゃいました。だって「忘れる読書」だもん。ところどころ,僕には難しい内容もありましたが,そんなことはお構いなし。わからないところは,ただ落合さんの言葉のシャワーを浴びているように読み進めるのが,落合さんの本を読むときのコツだと勝手に思っています。
さて,そんな落合氏の『忘れる読書』の中に,プログラミング教育に関係する落合氏の考えが書かれている部分がありました。プログラミングど真ん中の方の見解ですね。
「子供にプログラミングを習わせるべきか?」という質問をよく受けるようで,それに対する考えです。落合氏はこう述べています。
間口を広げるために小学校で一斉にプログラミングを学習すること自体は良いことだと思っています。ただし,「これからの時代に必要な知識や技能=プログラミング」と短絡的に結びつけるのは,ナンセンスです。(p.131)
そういえば,「WEEKLY OCHIAI」の中で,落合氏が「すでにAIとの会話でコードが書ける。誰でも書けるようになる。」ことを実演しながら話をしていました。いずれ,AIとの会話だけでアプリが作れるようになると。
また,「会話するだけでプログラムを書いてくれるAIと絵を描くAI」という記事でも同様のことが書いてあります。
思い返せばこのブログだってそうですね。昔はブログ一つを作るのだって,結構大変な作業でした。僕も25年ほど前にホームページビルダーなどを使って作成していましたが,今ほど簡単には出来ませんでしたから。
つまり,今,プログラミングを学ぶようになったことは重要だことだし,大切なことだけど,今のプログラミング学習が絶対的なものではないということですね。
上図で考えると,「凝視する視点」では,「プログラミングを学ぶことは大切」だけど,「俯瞰する視点」で見ると,もはやコードが書けるようになることは重要ではなく,そこはいずれAIが書くような時代がくると言ったことではないかと思います。
そう考えると,プログラミングを学ぶ本質は何かを考えておくことは重要ですね。
「何のためにプログラミングを学ぶのか」「プログラミング学習を通して,何を学ぶのが本質なのか」と。この辺りを整理しておくと,ぶれないのではないでしょうか。
みなさんどのようにお考えになるでしょうか。
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